先週金曜に15分、今週水曜に15分、今日スタバで1時間半ほどで点検読書した。でもまだ最後まで点検できてない。

①としているのは、そのうち続きを書くから。

ルーマン理論の可能性
ルーマン理論の可能性
posted with amazlet on 06.04.21
村中 知子
恒星社厚生閣 (1996/01)
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■読む前に考えていたこと

俺は社会をシステムと捉えた二クラス・ルーマンが気になっていたんだけど、著書が多すぎるしwikipediaやGoogleとかで見てもいまいち特殊な用語が多くて掴めなかったので、どの本から手をつければいいのか数ヶ月迷っていた。(他にも色々やる事あるし)

なぜ気になっていたかというと、SocialComputingというユビキタスコンピューティング(ubicomp)のHCIの一分野があって、俺はそれをやっているから。SocialComputingは、いわゆる社会的なものにユビキタスコンピューティングをシステムとして実装(埋め込む)事で、社会とそこに生きる人の経験をデザインする。

その方法として、例えばDourishの『Where the action is』という本には、「SocialComputingとTangibleComputingは実は同じものだ」と書いてあって、それを包括する現象学的設計論をubicompに提唱している。現象学的設計論では、エスノメソドロジーによるフィールドワークを行い、そこで起こっている事とデザイン対象の「経験」を自分に取り込む。これは、例えば相手にアンケートを取っても大抵の人は自分の「欲求」を正確に説明する事ができないし、どういうデザインがあればより良くなるか説明できるはずがないからだ。(決して、デザイン対象との対話を否定してるわけではない)

「経験」を取り込んだデザイナが、「どうやれば/何があれば」良くなるかを考え、デザインする。方法は主に2つある。

1.モデリング。現象学的設計論では、シナリオ・UML・映像などを使って、作りたい「世界(プロダクトも人も、存在するもの全てを含めたもの)」そのものをモデリングし設計する。だが、モデリングはあくまで理論なので、正しく作用するかは試さなければわからない。あくまで、「経験」を取り込んだ自分の判断を信じるしかない。

2.トライアンドエラー。プロトタイプを作成し、「経験」を獲得してきたデザイナ自身が使ってみて良いと思う物を作る。この時、完全に実装されている必要はなく、あくまで経験を検証できればよい。(パソコンのマウスもそうやって検証された)これは「ダーティプロトタイピング」や「アジャイル」と呼ばれる手法で、トライアンドエラーを何度も繰り返すと効率が良い。

1と2両方ができるテーマでなければ、現象学的設計論は適応できない。対象を絞り込んで、局所的に作るのが定石だ。

で、なんでここでルーマンかというと、(俺が2年の頃からメインでやっている)SocialComputingは「トライアンドエラー」が難しいから、モデリングの方で何かヒントはないものか?と思ったから。できたら凄く面白いから、俺はこれをなんとかやりたい。

トライアンドエラーが難しい理由は、「デバイスやシステムを配布して、通信インフラも確保した上で、トライアンドエラーでデザインするのが難しい」これに尽きる。要するに金の問題だったりするが、割と世界中のubicomp系の研究者が「シナリオムービーしか作れねえよ!!」とか叫んで悩んでいる事だと思う。

この本は、今学期から開講された「現代と社会システム」(伊庭先生)という授業の指定の教科書でもある。伊庭先生はシステム論とか複雑系に詳しくて、それを社会学で使っている。SocialComputingと似た問題を扱っているので、この本を読んでみる事にした。



■第1章 社会学におけるルーマン理論

ここはわりとしっかり読んだ。まず、ルーマン理論の目的と、概要が知りたかった。

(でも俺が思考するために読んで、blogに書いているので、本に書いてない事が混じるので注意)

ルーマンの理論の目的は、「社会の複雑性を縮減すること」らしい。俺達は普段「これは去年千葉で買ったコップだ」とか意味づけをする事で「把握」している。どういうものをかを自分なりに意味づけている。これ「把握」を複雑性の縮減というらしい。確かに物に名前付けたりするとぐっと身近になる気がする。

ルーマン理論でいくと、意味づけではなくシステムとして「何が起こっているか」を解明してしまう事で、意味づけずに把握できる。こないだの地獄合宿で読んだフッサールの言っているエポケーと現象学的還元みたいだ。みんなが色んな見方を持っているから、みんな価値観が違うから、勝手に意味づけしてたら社会は荒れる。ルーマン理論はそうならない為のツールとして使える。

ルーマン(1927-1998)は社会学に統一的・分野横断的アプローチを導入しようとした。沢山の分野を含む。でも日本では流行っていない。理由は3つある。

1.専門用語が難しすぎるし、理論が循環的な論法になってる 2.初期のルーマンの読み手の議論が無駄にややこしかった 3.社会学がパーソンズの機能・構造主義→その「個」を捉えられないという欠点からの現象学的社会学・エスノメソドロジー、と移ってきている所に出てきたから受け入れられなかった

機能・構造主義は、地位と役割のネットワークから社会を捉えるアプローチらしい。まさに去年の春に最初考えた事だったけど、それは俺は違うと思っている。状況があってそこに投げ込まれたりする事で社会活動が行われる事もあるし、初期段階では社会構造での位置なんて決まっていなくて、活動の中で秩序ができてくる。

ルーマンの「社会システム」では、社会をシステムととらえ、それは3つの要素から成る。1.個体の機能 2.つながりかたの構造 3.創発

70年代と80年代の間で、オートポイエシスをとり入れてルーマン理論は進化した。システム/環境から、自己準拠的システムになったらしい。

とりあえず、疑問が浮かんだ。

・システムは何か?どうやってできて、動くものなのか?

・自己準拠とは何か?

・オートポイエシスとは何か?

を調べる必要がある。

■自己準拠性

システム、要素、関係の3つが同時的にある事。どれかが土台になってシステムはできるのではなく、3つが相互に秩序を作るのに関わって、その時のシステムの姿ができる。

■コミュニケーション

情報の伝達ではない。伝える人は何も失っていない。

考えている事を行為で表して、それを相手が読み取って解釈する。だから両者の間で解釈前後の「情報」が同じになるとは限らない。

まあこれはわかる

■ダブル・コンティジェンシー

解釈や行為に選択性がある事で、期待や予測をする。そして秩序が生まれる。相手の出方を考慮する。

期待も期待されなければ生まれない。(実はこの辺が、駅のメタファで俺が言うような奴)

■ここから適当

デザインに持ち込むとには、ルーマン理論は結構問題がある気がする。

ていうか目的は、思うように動くように実装できたら勝ちなわけで、完全なモデリングじゃない。

「やっていること」とか「そこにいる人」とか要素を色々挙げることはできるんだけど、モデリングするだけで何か作り出すことにはなりにくいんだよな。まあでも参考になる。読んでると頭が回って、次の展開や章を勝手に先回りしていい。そういうリズムの本はあんまり無いので、3500円で良い買い物したと思う。

小さな自分が、上位システムを完全把握するのはすごい労力が要るわけで、しかも自分のモデリングが正しいかなんてわからない。シミュレーションすればわかるか。でもパラメータ取り落としてたらシミュレーションは嘘を吐くだろう。

webアプリに比べてubicompは埋め込まれちゃうから与える影響も大きいだろうから、デザイナの責任とかでシミュレーションしなきゃいけないのかもしれないけど。大規模なプロダクトは。

やっぱトライアンドエラーできる環境は必要だな。なんとかしなくちゃな。