色々あって、昨日やっとこの本を手に取った。『新ネットワーク思考』などを現代版にしたような、凄く良いネットワークの本だった。

アンビエント・ファインダビリティ—ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅
ピーター モービル Peter Morville 浅野 紀予
オライリージャパン (2006/04)

俺はSFCの奥出研究室でユビキタスコンピューティング&HCI側で勉強をしているので、4章の『錯綜する世界』で紹介されるMITのTangibleBitsや、McCulloughの『DigitalGround』などのHCI的マストな本や、アンビエントやパーベイシブの話と、ネットワークの話が関連づけて書かれててかなりぐっときた。

というか一章の一番始めからMITの石井さんのセリフから始まってうけた。

それでさっきblogに書こうと思ったんだけどDESIGN IT!さんの書評が凄く良いので、どういう事が書いてあるかはそっちを見てほしい。

んで本題に入るんだけど、DESIGN IT!さんの続きで、HCI(Human Computer Interaction)からHII(Human Information Interaction)へという記事のがあるんだけど、これは実はちょっと違うんですよ。多分。

HCIからHIIに行く、というより、HCIの方法論を取り入れないと、HIIはシンボル==データな、地図みたいなのしか扱えないという事だと思う。



(17ページからの引用の引用)

われわれはHCI(Human Computer Interaction、人間とコンピュータ間の相互作用)の「C(コンピュータ)」をなくさなければならない。なぜなら、アンビエント・ファインダビリティはコンピュータの問題というより、人間と情報の間の複雑なインタラクションに関わる問題だからだ。

ピーター・モービル『アンビエント・ファインダビリティ ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』

実は、HCIの目的はこの「Cを無くす」という事で、これを「equipment」とか「ready to hand」と呼んでいる。

道具が体の一部になるというハイデガーの哲学概念で、例えばマウス使っている時は意識していなくて、手の一部になっている。職人にとってのトンカチとか、絵描きの筆なんかも同じ。

つまりコンピュータとのインタラクションをしっかりデザインすると、体の一部になるという考え方。

そういうデザインをするためのHCIのデザイン方法論がいっぱいあるんだけど、それがHIIに取り入れられると、シンボル==データじゃないシステムが作れるようになると思う。

例えばmoo-pongというプロダクトがあるんだけど

moo-pong

moo-pongは身の回りの場面や景色を映像として拾い集め「映像の万華鏡」を作ることができる道具です。専用のカメラでボール形状の記録媒体に映像を撮影し、そのボールをたくさん集めて入れ物に集めると、映像を一度に万華鏡のように見ることができます。

特許出願中。

これで映像を撮って、いっぱい入れて見たり、玉に映像を込めて友達にプレゼントしたりするのも面白いんだけど、映像データがサーバに保存されててRFIDの入ったボールで読み出しているのが結構ミソ。

というのは、moo-pongは

・ユーザはデータをtangibleに扱う事ができる(HCI側の話)

・データはネットワーク側で重み付けされ、構造化される(HIIやファインダビリティの話)

という2つの要素を連結する装置になっている。

最初にHCIの方法論を取り入れないと、HIIはシンボル==データな、地図みたいなのしか扱えないと言ったのはまさにこれで、地図はコンピュータが計算できるデータでもあるし、また人間が理解し操作するシンボルでもあるわけだ。

地図を理解するのは、ひとえに人間の「リテラシー」がそれを可能にしている。地図は人間の技能。

HCIのデザイン手法を使うと、今までなかった「データ」と「モノ」の組み合わせができて、かなり面白くなると思う。

奥出研のプロジェクト(春の地獄合宿の頃からプロジェクト増えてるんだけど、まだ学会submit中なので書けないのが4つぐらいある)

ユビキタスコンピューティングと言っても、今はまだモバイルデバイスの形もどれもほぼ同じで、画面がついてて十字キーがついてて……と操作もほぼ同じだ。だから、HCIのデザイン手法をHIIに入れないと、情報をいくら構造化しても行き詰まるんじゃないだろうか?(表示方法が限界になる)

この『アンビエント・ファインダビリティ』という本に、こういう上から見た地図とか

DSC06232DSC06236

こういう抽象的なシンボリックな図ばっかり出てくるのも、シンボル==データになってるのしか扱えないのが原因なんだろうなと思った。

DSC06233DSC06231

まあそんな感じで、HII(Human Information Interaction)をパソコン以外、地図以外の所でも実現するには(つまりファインダビリティをユビキタスに実現するには)、人間が日常の中で使うモノのデザインの話(HCI – Human Computer Interaction)が入ってくるんじゃないかな、という事でした。

*****

最近アメリカのTechnoratiでずっとHCI/HIIについて書いているblogにサーチをかけているんだけど、あんまりそういう話が出てこない。(日本語圏だけじゃなく、technorati.com全体で15件ぐらい)

実は俺がHCI/HIIに興味を持っているのは、このアンビエント・ファインダビリティの著者が先日のCHI2006でPARCやIrvineとGoogleの間を取り持つようなセッションをやっていて

“It’s about the information stupid!” Why We Need a Separate Field of Human-Information Interaction(pdf)

それを読んでHCIとHIIは相互に補完しあうと思った。

著者のPeter Morvilleはfindability.orgのInformation Interactionという記事で

HCI approaches are optimal for software applications and interfaces where designers can exercise great control over form and function. HII approaches are optimal for networked information systems where control is sacrificed for interoperability.

と言っていて、HCIとHII両者のポイントは「コントロール」だと考えているんだろう。

HCIはコントロールをデザインするのに向いているアプローチで、HIIはコントロールを犠牲にしながらも相互接続性・互換性・検索性を持たせる事をやってきた。だから両者は別々に研究されるべきじゃない。だから Why We Need a Separate Field of Human-Information Interaction なんだろうな

*****

よくできたweb2.0のアプリケーションもCatalystやRailsもMVCフレームワークで設計開発できるようになっているけど、ユーザ側からみると一つのシステムとして扱えるようになっている。

これも、HCIの「Cを無くす」、つまりC=Computerであり、MVC(Model-View-Control)のC=Controlというのになっていて、ユーザはModel(データ)をそのままView(ブラウザの画面)で操作するようになっていて面白い。equipmentだ。