1,2章でエスノメソドロジーの定義がされる。3,4章はセットで読んだ方が良いら

しい。

あと、3章のタイトル「お前の心の迷いです」がツボにはまってバス内で恥ずかしかった…

エスノメソドロジー—社会学的思考の解体
ハロルド・ガーフィンケル 山田 富秋
せりか書房 (1987/04)
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余談は置いて、エスノメソドロジーとは何か?

エスノメソドロジーは実践と共にある運動。それは、社会はすでに形を持って構成されている、というような客観的なものであるという説明はしない。そうではなく、当たり前の日常として過ごしている人々の活動をあえて「奇妙なモノ」として解釈する。

例えば、裁判の場における「陪審員」という集団は、常識的知識の基盤を共有した集団で、また互いの頭の中の考え方や知識を見抜き合って共同している。

この時の陪審員達の言う「常識」は、私達の普通に言う常識とは異なる。例えば法にのっとっていたり、供述が論理的に正しいかを重視する。外から見ると陪審員のeveryday-lifeは明らかに普通とはルールが違い、何か変で、合理的には見えない。

この本ではそういう実例の論文が2章以降書かれている。



■エスノメソドロジーと俺

著者ガーフィンケルはシュッツ、メルロポンティの現象学的社会学、身体論と、ウィトゲンシュタインの哲学、そしてハーヴェイ・サックスの対話分析に影響を受けている。

そのエスノメソドロジーはサッチマンのsituated actionで使われていて、パースとかも出てくる。

その考えがさらにマーク・ワイザーのユビキタスコンピューティングにつながる。

ドーリッシュのembodied interactionもシュッツやメルロポンティから関係していて、まあ俺らはこれを切り口として使って、経験をaugmentするメディアとしてのコンピュータのインタラクションを設計している。

あとエスノメソドロジーもデザインでかなり使っている。それは前述の「本人達にとってのeveryday-lifeは、観察者から見ると奇妙に見える」という事を利用して、アイディアを無限に出す手法として使っている。(経験の拡大)

最近気になっているのが、この辺のつながりで見ていると「説明」と「解釈」という区別をよくしていてなんとなく違いはわかるんだけど…という感じ。