最近は影について色々と考えたり読んだりしている。
講談社
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3年ほど前か
影という元型をとおして、自己を省みる
副読本としてのユング
目次だけ見た。影というとプラトンやユングだが、両者に触れてる。
プラトニズムでの影は「影は自分の負の部分だけど、自分の一部だからちゃんと向き合わないといけないよね」というゲド戦記とかのアレの事。
岩波書店
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ドイツ独特のどこか陰鬱な寓話
・∀・)ふんふん
オペラ「ホフマン物語」との関係は?
『影の現象学』に出てくるシャミッソーの小説。今読んでる。
PHP研究所
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なつかしいなー
こんなにいろいろできるなんて!!
なんとなく普通に影絵を練習している。道具を使ったり、複数人でやる合体技が熱い本。
やっている内に、影絵をやる時の視線の使い方とかが変わってきている自分がいて面白い。
産業図書
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学習におけるリスクの役割
前著作の延長線上の作品ですね
s.h.log: 最近買った本 – ドレイファスとかStrataとかMySQLとか色々でもよくわからない事を長々と書いたが、インターネットと身体性について書いている本。
1章では、私達は身体的なインタラクションを通してものごとの関連性を認識している。しかしweb上に情報を組織化する時に身体性がなく、また、その情報を検索する時にも身体性が無い。
と言っている。これは「わからない事がわからない」状態の時に、何という言葉でググればいいのか分からないから、調べる事ができないという問題に関係している。
最近は、web2.0的なSocialMediaのお陰で知らなかった情報に触れる機会も増えてはいるが。
2章では、インターネットを使った遠隔学習では、中級者までしか成れないと言っている。身体知や実践知をテキストやビデオ化したり正しく伝送する事が困難である事と、関与と当事者性が学習において重要である事が挙げられている。
師匠を超えられない劣化コピーばかりできてしまう。
3章は、tele-presenceはあらゆる事に首をつっこめる代わりに、状況に埋め込まれた身体を捨てる事になると言っている。この身体性の捨て方が重要で、遠隔学習の推進者達は、人間と事物のインタラクションを視覚や聴覚やテキストに分割した後に再現したり、足し算で豊かにしたりできると考えている事を指摘している。そうではなくドレイファスは(メルロポンティは)身体的なインタラクションの全体的な感覚が、学習の中の関与と当事者性に重要だと言っている。
この辺は日本で多い、分割・足し算的なマルチモーダルコミュニケーションの研究のアンチにもなっている様に見える。
また、「当事者性が無い所に信頼は生まれない」というあたりの文も、去年の春頃から考えている「これは人間だ、と何をもって認識しているか?」という問題に近い。コレが、オンラインコミュニティをデザインする上での一番の要となる部分だと俺はずっと思っているが、まだ手を出すには早い。
4章は今読んでる。
早川書房
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きました
きたー!
待ってましたよ
実は一番のインスピレーションの元。前作から4年待った2巻。
視床カートリッジなどのアイディアはまあ普通として、「情報的似姿」が面白い。
人工知能というのは、その人の全てのI/Oの特徴を記録して作った軽量な似姿で全部できちゃうよね、というのがアイディアで、ツッコミ所は色々あるというか本当にそれで知性持って動くのかよというのが色々あるが、「何をもって人間か」という事の考えからモノにまで飛ぶジャンプ力を俺に与えてくれた。
お陰でiPod nanoのラギッドガールカラーのを買ってしまうぐらいのはまり様です。次の巻が楽しみなのです。