情報処理学会 創立45周年記念「50年後の情報科学技術をめざして」記念論文 : 1.優秀論文賞:妖精・妖怪の復権-新しい「環境知能」像の提案-

前田英作/南泰浩/堂坂浩二

情報処理学会の45周年記念論文を読んだ。50年後の世界を書いたもので、「環境知能」としてのユビキタスコンピューティングのあり方を描いている。ふつうにまともな内容だし、シナリオもぐっとくるし、こういう考え方で俺も考えているけど気に入らない事が3つある。

1つ目。50年後なのに人間の知性が進歩していない。たとえば俺らは経済とか民主主義がどうこうとかを中学で軽く習ったりして、普段生活しているレイヤーより抽象度の高い部分をある程度意識して生活していると思う。そういう人間の進歩が見られない。

2つ目。情報処理を妖怪という形で隠蔽してしまうのはどうなのか?1つ目と関係しているが、抽象度の高いレイヤーを把握はできなくても、理解探求しようとしなくなった時点で人間として死んでると思う。なぜなら、コンピュータに操られてしまうから。そしてそのコンピュータ(=妖怪)は、プログラマに明示的に記述されたプログラムに従って動く。

隠蔽された情報のレイヤに目を背ける事は、間接的にだが他人に思考方法を明け渡す事だ。

3つ目。妖怪をシステムとして実装した時点で、妖怪が死ぬ。得体の知れないモノへの夢が無くなる。

できれば「妖怪」という名前で実装されたくない。

「ユーザ中心」という考え方が流行りすぎているが、この「バカな人間と賢いコンピュータ」という構図は、それよりもさらに行き過ぎだと思う。じゃあそのコンピュータを実装する人は何様なんだ?